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朝陽館(ちょうようかん)・耕読堂(こうどくどう)諸先生の墓碑
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更新日:2025年4月1日更新
朝陽館は、安永8(1779)年に、片貝集落の重立(おもだち、近世・近代農村における村落内の上層身分階層の通称)が子弟の教育のために開いた塾です。天保13(1842)年に新しい塾舎を建て、耕読堂と名を改めて以後は、学制施行によって明治7(1874)年に片貝小学校ができるまで続きました。この朝陽館(耕読堂)は近世の越後を代表する私塾で、三余堂(現・柏崎市)や長善館(現・燕市)にも強い影響を与えました。
片貝の仲使山(ちゅうじやま)にある遊山台(ゆさんだい)には、約100年にわたる歴代の塾主7人(8人のうち1人は墓碑なし)と、五代目塾主・横井豊山の従者である森下弘之進の墓碑が建てられています。
歴代塾主は次の通りです。
初代 酒井右内 寛政2年(1790年)没
二代 藍沢北溟 寛政9年(1797年)没
三代 皆川葵園 文化10年(1813年)没
四代 鶴田東野 文政11年(1828年)没
五代 横井豊山 安政2年(1855年)没
六代 浅野柳所 (墓碑なし)
七代 丸山貝陵 明治元年(1868年没)
八代 丸山貝村 昭和6年(1931年没)
文化財指定日 1972年4月1日
遊山台の全景
酒井右内の墓碑
藍沢北溟の墓碑
皆川葵園の墓碑
鶴田東野の墓碑
横井豊山の墓碑
丸山貝陵の墓碑
丸山貝村の墓碑
森下弘之進の墓碑