外之沢への再訪 〜優婆尊は山姥?弥三郎婆さん?〜
  6月21日(月)に、再び外之沢へ行き、数年前まで外之沢に在住された山田(き)さんから外之沢を2時間ほど案内していただきました。
 その後、共同墓地にある六地蔵を見学。(6つの地蔵にはそれぞれ意味があるそうです)
 さらに、東京から外之沢に近年移り住まれた方に「外之沢のよさ」をインタビューしました。
(自然、人情、お金を使う機会がない・・・)

名刺を渡しながら自己紹介! 表情がそれぞれ違う“六地蔵”+6人
子どもたちに人気があった風景 「外之沢のよさ」は何ですか

外之沢の吉蔵寺跡のお堂の中で山田さんから「優婆尊」(うばご様)のお話を聞きました!

外之沢の「天満宮」 今まで見たものとは一味違った馬頭観音
外之沢はいいところだね! 吉蔵寺の下にあるミニ棚田

吉蔵寺跡のお堂の中では「優婆尊」(うばご様)についてのお話をじっくりと聞かせていただきました。

人が多くなると信仰の対象が必要になり、内鎮守が生まれる。
 「優婆尊」は、最初はおっかない顔をし、人を食べたり、さらったり、台風を起こしたりしていたので、村人から嫌われていた。しかし、自分の子どもの一人を亡くしたことによってなげき悲んだ。そして、子どもを亡くした親の気持ちが分かるようになることで、強く優しい優婆尊に変わった。
 その後、子どもたちを事故や災難から守るようになったので、村人たちは優婆尊をお参りし、大事にするようになった。
 「山姥」(やまんば)は、おっかない婆さんの総称であり、魚沼地方では、「弥三郎婆さん」とも言っていたようである。
 外之沢では、子どもが生まれて50日後に、綺麗な服を着せてお参りにいっていた。
 お盆や彼岸の最終日には、仏様送りをしていた。
 吉蔵寺跡のお堂は、三興地区の盆踊りの際に小土山に行く際や春・夏・秋の道普請の際の集合場所にもなっていた。

 外之沢の天満宮では、中を見せていただいたり、祭神の菅原道真についてのお話を聞かせていただいたりしました。脇には、芋坂の諏訪神社とはまた違った人の顔の上に馬の像が載っている馬頭観音があり、子どもたちも驚いていました。
 別れ際に山田さんから「外之沢のことや、優婆尊のことなどをみなさんから勉強してもらい、私もとても嬉しいです。是非、多くの方々に伝えてくださいね」という言葉をいただきました。