土川に完成した男子小学校の新しい校舎

 明治41年の暮れ,今の市民体育館のあるあたり(土川)に新校舎が完成しました。ほぼ,今の学校のあたりに来たわけです。この校舎をつくるために,小千谷町の人々から広く寄付金が集められたのです。中でも,町の大地主であった西脇済三郎(にしわきさいざぶろう)は,町の人々の願いを知って,「わたしも,町民の一人としてできるだけの援助(えんじょ)をしたい。」とたくさんのお金を寄付してくれました。かれは,新校舎建設費用(ひよう)の大部分にあたる26500円ものお金を出してくれたのです。これは,今のお金にして一億円をこす大金でした。


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