小千谷小学校の給食の歴史

できごと 
  昭和7年(1932年)  生活が苦しく、お弁当を持ってくることができない児童を対象に、お弁当を配ったのが始まりです。
  昭和22年(1947年)  ミルク給食が始まりました。
  昭和24年(1949年)  週6回を1〜3年生3日、4〜6年生3日と分けて、完全給食が実施されました。
  昭和32年(1957年)  給食が週5回になりました。
  昭和42年(1967年)  脱脂粉乳から牛乳へ切り替わりました。
  昭和43年(1968年)  ソフトスパゲッティ式麺(ソフト麺)が出されるようになりました。
  昭和53年(1978年)  米飯給食が始まりました。
      現  在  リクエスト献立やセレクト献立など、メニューを希望したり選択したりすることができるようになり、献立が多様化してきました。給食を通した「食育」の役割が大きくなり、郷土料理や地産地消の食材もたくさん取り入れるようになりました。
Topics 



 
  「小千谷小学校の学校給食の原点とは」

 小千谷小学校の給食は、昭和7年、お弁当を持ってくることのできない児童のために始まりました。お弁当は、献立表をもとに、用務員さんが作りました。給食を受ける児童は、他の児童に分からないように、毎朝用務員さんからお弁当をもらい、放課後に空のお弁当箱を届けました。
 この取組に対して、町の方が賛同し、給食用田んぼを寄贈して、自ら稲を育て、毎年白米を寄付してくださいました。このお米によって給食が作られたそうです。
 昭和12年の記録によれば、この学校給食の実施により、児童は発育良好となり、活発に動くことができるようになったとあります。また、当時学校は、この学校給食をさらに虚弱児童や偏食児童にも拡げていこうと、積極的な考えももっていたことが記録されています。
 小千谷小学校の給食は、当時から「食育」の役割を大きく担うものだったのですね。
 
      

    <開始当時の給食>


      

      <学校給食室の様子>
全校児童2,400名分を2分し、専属のボイラーマン1人を含む給食員8人が調理に当たりました。

                                           (小千谷小学校史編纂委員会「小千谷小学校史 下巻」より)