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お満ヶ池(おまんがいけ)

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年7月12日更新

寛文年間(1661年~1672年)の初め、播磨国明石の浪人堀次郎将俊が妻満(まん)、長女ちよ、次女けさの三名を連れて、山谷村の庄屋西牧彦治右衛門方に身を寄せました。

当時小千谷では、麻布の機織りが盛んでしたが、将俊はその織り方に工夫をこらし、縮皺(ちぢみしわ)をだしたほか、絣(かすり)の付け方、晒(さら)し方などに工夫をこらし、新しい織物を作り出すことに成功しました。また、この技術を一般に公開、伝授しました。
これが小千谷縮布の始まりです。

この池は妻の満が布を晒した場所として有名で、その傍(かたわ)らに記念碑が立てられています。

お満ヶ池の全景の画像お満ヶ池

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