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目崎家板碑(めざきけいたび)

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年7月12日更新

板碑の表面の画像板碑の表面

小千谷市吉谷、水口集落の西側に鎮座(ちんざ)する白山神社付近の塚より出土し、目崎家が代々大切に所蔵しています。青石卒塔婆(あおいしそとば)と呼ばれる緑泥片岩(りょくでいへんがん)製のもので、関東地方で多くみられるタイプの板碑です。板碑の正面には「貞和三年丁亥七月日」(1347年)及び梵字(ぼんじ)で阿弥陀如来(あみだにょらい)を表す種子(しゅじ)「キリーク」と蓮弁台座(れんべいだいざ)を、脇侍観音菩薩(きょうじかんのんぼさつ)、勢至菩薩(せいしぼさつ)の種子には蓮弁台座を模した二つの花瓶(けびょう)が刻んであります。三角頭部の圭首(けいしゅ)部と二条線も明瞭(めいりょう)に残っており、裏面にはノミの跡が横位に見られ石材割り出しの跡が観察されます。

高さ54.5センチメートル。横幅18センチメートル、厚さ3.5センチメートル、重さ6.5キログラムを計ります。

貞和は北朝の年号であり、当時の関東地方は北朝の影響下にあったことは確かであり、越後守護上杉憲顕(うえすぎのりあき)や足利直義(あしかがただよし)に加担した武士がこの地にいたものと推測されます。

板碑の裏面の画像板碑の裏面

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