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岩村・河井会見の処(ところ)

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年2月24日更新

小千谷市平成にある、慈眼寺(じげんじ)の会見の間は、慶応4年(1868年)5月2日、長岡藩家老河井継之助(かわいつぎのすけ)が藩主の嘆願書(たんがんしょ)を持参、小千谷に本陣を置いた薩摩と長州を中心とした新政府軍(西軍)の山道軍軍監岩村高俊(いわむらたかとし)(精一郎(せいいちろう))と講和談判を行った場所です。

岩村軍監は、嘆願書を見ることもなく、無条件降伏をせまったと伝えられ、この談判は決裂しました。結局長岡藩はこれ以降、藩を挙げて新政府軍と抗戦することになりました。長岡藩の態度決定により、北越諸藩も隊列に加わり、新潟県内は広く戦場になりました。

長岡城は、7月29日に落城し、河井はこれより先、7月24日に重傷を負い、会津に護送中の8月16日に亡くなりました。

慈眼寺には、会見の間が当時のまま保存されており、ほかにも戦闘絵図その他の関係遺品が保存されています。

平成16年(2004年)10月の新潟県中越地震により、会見の間を含む本堂が全壊しましたが、多くの寄付などにより、平成18年(2006年)9月に復旧しました。

慈眼寺会見の間全景の画像会見の間の全景

今も残る会見の間の画像会見の間の内部

河井継之助の肖像画の画像河井継之助の肖像画

岩村高俊の肖像画の画像岩村高俊の肖像画

所在地小千谷市平成2丁目3-35地図
アクセス関越自動車道小千谷インターから車で2分

1月に行われる文化財防災訓練の様子はこちらをご覧ください。

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