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朝日山古戦場(あさひやまこせんじょう)

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年7月12日更新

北越戊辰(ぼしん)戦争の際、長岡藩の拠点となった朝日山(標高341メートル)は、榎峠(えのきとうげ)等とともに新政府軍(西軍)の山道軍に対する要害でした。

慶応4年(1868年)5月10日、長岡、会津(あいづ)(今の福島県)、桑名(くわな)(三重県)の諸藩連合軍がここに布陣し、野辺沢(のべざわ)を隔てたひ生、山寺の裏山一帯に駐留した薩摩(さつま)(鹿児島県)、長州(ちょうしゅう)(山口県)を主力とする山道軍(さんどうぐん)に対峙(たいじ)して、以来約一週間激戦が繰り返されました。中でも5月13日未明の長州奇兵隊(きへいたい)200人による攻撃では、激烈な戦いが行われ、奇兵隊の参謀時山直八もこのとき戦死しました。

ここには、当時の砲座跡及び河井継之助が築かせたというフランス兵法による塹壕(ざんごう)の一部が残っています。

山頂付近を含め、尾根の各地点には戦死者の墓碑があり、山麓(さんろく)の浦柄神社に戦死者の墓碑が建立されています。

三仏生から見る朝日山山頂の画像写真中央の山が朝日山

山頂にある古戦場の記念碑の画像頂上にある古戦場の石碑

今も残っている塹壕の跡の画像頂上に今も残る塹壕の跡

頂上に建つ展望台と資料展示室の画像展望台と資料展示室

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