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小千谷市のあゆみ:小千谷市の誕生

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月2日更新

◆昭和29年3月10日市制施行

昭和28年10月に「町村合併促進法」が施行され、全国に新市が次々と誕生しました。
小千谷市も小千谷町を中心とする町村合併により市制が施行され、この法の適用による新潟県新市第1号となりました。これは、町村合併促進法の施行を目前にし、小千谷町が活発に世論を盛り上げ、市制施行に積極的だったことに加え、それまで合併に保守的であった城川・千田両村も町村合併促進法の施行を機に旧来の行きがかりを一掃して大同団結しようとする機運が生まれ、3町村が足並みをそろえて合併に取り組めたからでした。
小千谷町は昭和28年12月4日の町議会で、満場一致で両村に対する合併促進申し入れを議決し、両村に申入書を手渡しました。申入書を受けた両村は村民に対し説明会を開催し、世論の統一を図り、翌昭和29年1月28日3町村はいっせいに議会を開催し、小千谷町議会は市制施行を議決し、城川・千田村議会では、村の廃止編入を議決しました。そして、2月27日の県議会の議決を経て、3月9日付総理府告示第79号によって告示されました。
こうして昭和29年3月10日、小千谷市は戸数6204戸、人口3万3166人、面積73.06平方キロメートルを持つ、県下第8番目の市として誕生しました。

市制施行記念式典の写真
市制施行記念式典(写真をクリックすると大きな画像が開きます)

市制施行祝賀パレードで大勢の人が集まった写真
市制施行記念祝賀パレード写真をクリックすると大きな画像が開きます)

◆川井村をはじめ、次々と周辺部を合併編入

小千谷市は、大同団結により小千谷市100年の大計を考え、この機会に北魚沼・中魚沼・古志・三島・刈羽郡の雄都として、人口8万に及ぶ田園都市の建設を構想していました。5郡17か町村を一丸としようとするこの構想は、そのまま達成されはしませんでしたが、小千谷市のこのような積極的姿勢が隣接町村の動向を左右し、川井村をはじめ数次の合併を実現し、今日の小千谷市を作りました。
まず、小千谷市の誕生が決まるや、いち早く小千谷市への編入合併に踏み切ったのは川井村です。同村は郡内最小の村として明治34年以来自立していましたが、今後自立し続けることは不可能と判断し、当初、川口村への合併を考えていましたが、小千谷市誕生が決定的になると小千谷の合併へと世論も変化してきました。小千谷町でも昭和29年3月4日、川井村に合併意向を打診し、9日最後の町議会で川井村への合併申し入れを満場一致で議決し、10日には申入書を手渡しました。そして、3月21日両市村同時に議会を開いて、市の境界変更、村の廃止編入、財産処分を議決し、5月1日付総理府告示第472号で告示され正式合併の運びとなりました。
小千谷市の合併は、次に郡境を越える規模にまで進展しました。市制施行を目前にした3月8日、位下町長は隣接11か町村長を招いて合併推進懇談会を開き、合併の利益、効果を力説しましたが、その日町長は古志郡に属する六日市村、東山村に非公式に合併を申し入れました。その後六日市村は7月28日、東山村は9月4日村議会を開催し、議決しました。そして11月1日に六日市村の一部と東山村の大部分が編入合併しました。さらに、中魚沼郡の岩沢村、真人村との合併も部落ごとの座談会などで世論の統一を図り、岩沢村は11月16日、真人村は11月25日それぞれ開催の村議会で議決し、昭和30年1月1日に合併されました。

◆難航した片貝町合併

ところが、次の片貝町、上小国村との合併問題は極めて難航し、片貝町は住民間に深刻な分裂抗争を引き起こし、上小国村はついに挫折してしまいました。
片貝町は、町村合併促進法施行の頃には、隣接の古志郡石津村と北魚沼郡千田村の一部鴻巣部落との合併をもって、適性規模の片貝町としての独立を期したいと考えていました。昭和29年9月4日小千谷市、片貝町議会で鴻巣部落は、小千谷市から分割され片貝町に編入することが議決され、昭和30年3月31日に施行されました。
一方、三島郡南部5か町村(片貝町・来迎寺村・深才村・岩塚村・塚山村)の合併案も強く出されていましたが、小千谷市は昭和29年10月に調査員を片貝町に派遣し、翌日には、片貝町にも合併促進会が設けられました。
片貝町議会も10名が南部派、9名が小千谷派と真二つに分裂し、町民間にも険悪な対立感情がふくらみました。とはいえ、町民の大半は小千谷市合併の意向が強く、昭和30年2月7日の住民投票でも小千谷市賛成2149票、南部賛成806票で小千谷市合併の線が大きく打ち出されました。そして4月に町議会議員の改選が行われ、新議員の顔ぶれも15対7で小千谷市派が優勢になり、世論も一層小千谷市合併に傾きました。そして2月26日執行の町長選挙の結果、合併促進派の佐藤佐平治氏が当選し、3月4日小千谷市への合併が議決され、昭和31年3月31日合併されました。
なお、上小国村は、一時、小千谷市との合併を昭和30年3月10日村議会で決定したものの反対派勢力も強く、県の合併審議会で合併が認められず、結局小国村と合併して小国町を新設しました。

◆5万都市の誕生

片貝町との合併をもって一段落した小千谷市は、人口約5万2000人で、人口でも県下第8位となりました。この基盤の上に立つ初代位下松五郎市長に課せられた最大の問題は、合併条件の実現でした。折りしも合併各町村とも6・3新学制整備の途中にあり、その推進は、そのまま新市に引き継がれました。このため位下市長は、学校建設と学校統合に全力を注いだほか、上水道工事・ガス工事の断行、都市計画の立案、旭橋の架け替え、市庁舎の増築など都市建設の基礎的作業に力を尽くしました。

(昭和59年12月発行「小千谷市30年の歩み」より抜粋)

 

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